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zoom RSS [県政研究]「長崎大水害から30年」に思うこと

<<   作成日時 : 2012/08/01 12:10   >>

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死者・行方不明者299名、被害総額約3000億円という未曾有の大水害から30年。7月23日には長崎市内各地で慰霊祭が行われた。思い返せばあの夏、当初は少雨の梅雨で節水が呼び掛けられていた。7月に入って西日本では雨が集中するようになり、長崎でも20日には大雨が降っていたが、21日には梅雨の晴れ間も見られた。

23日に九州北部を覆った豪雨の範囲は次第に南下したが、長崎市では夕刻にはまだ小雨程度だった。それが19時から21時の3時間に6月一か月分の平均降雨量に匹敵する雨量を記録し、短時間での降雨量の日本記録を各地で更新する豪雨となった。連日の大雨警報に慣れ切っていた市民は何の準備覚悟もなく、突然の猛烈な雨にさらされた。

短時間に道路が冠水し帰宅の足を止めた上に、傾斜地では各地で土砂崩れが起きた。停電と交通遮断、夜間のことで被害の確認も遅れ、事態は刻々と悪化していく。夜が明けた後の悲惨な状況はテレビで放映され、日本中が集中豪雨の恐ろしさに息を飲んだ。

あの大水害の後、気象庁は『記録的短時間大雨情報』を出すようになった。大雨警報発表中に数年に1回程度しか起こらないような猛烈な雨が観測された場合に発表される情報で、「○○市付近で約○○○ミリ」という表記になる。簡潔な表現で警戒を呼び掛ける取組みがなされたわけだが、今夏の九州北部の大雨では更に「これまで経験したことのない大雨」という表現が使われた。「○○○ミリ」という表現では分かりにくいからと導入されたものだが、効果的であったとは言い難いようだ。

結局のところどんな警報の出し方をしても、人は喉元を過ぎれば熱さを忘れてしまうし、繰り返されればなれてしまう。それを踏まえた上で、被害を忘れず言い伝える努力をすることが『減災』において一番効果的だというのは、昨年の東日本大震災でも言われたことだった。明治の昔、その地域で津波がどこまで到達し、どの高台に逃げて皆助かった…というような経験話を共有した地域は、繰り返される津波警報を甘くは見なかった。実は30年前の長崎市でも、太田尾町の山川河内地区では江戸時代の被災が150年にわたって語り継がれており、奇跡的に死者・行方不明者が出なかったそうだ。

地域の特徴・災害に対する備えを、地域の歴史として確認し継承しつづけること。定期的に記憶を新たにし共有すること。それらの地道な地域活動に加え、県や市もまた、同じ災害が起こったら具体的にどう動くかをシミュレートしてみることが必要だ。原発事故や大地震に備えた検証はもちろん大切だが、起こりうることを想定しながらの計画は困難も多い。まず、今、長崎大水害が起きたら、どこに被害が想定され、どの時点でどこに救援が要請され、どこが情報を取りまとめるのか、今一度確認してみることが大切なのではないだろうか。

(画像は一部流出した眼鏡橋と、1982年7月24日付の長崎新聞一面)

【2012年8月・県政研究 掲載】

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